2008年 12月 19日
ND旅の最後の日の思い出の夜 |
邂逅
私とあなたの邂逅は、誰に感謝すべきなのか分からなくなるほど嬉しいものでした。
だからこそ、ただの出会いではすませたくなかったのです。
互いの人生がほんのわずかな期間だけ交差して、その後は一度も接点のないような、その場限りで終わってしまってもなんら不思議にも思わない、
まるで行き交う人込みの中で肩が触れあった多数のうちの一人――というような、
簡単に忘れてしまえるものにだけはしたくありませんでした。
こんなことを口にしたら、あなたは笑うかもしれません。
なんとも突拍子のないことをと、軽い調子で言うのかもしれません。
私はその答えを微笑みながら、黙って肯定することでしょう。
人と人との出会いなど、すべてははじめから決まりきったことなのかもしれない。
自分たちの思惑とは別に働く、見えない何かを運命と呼ぶのも、人にはどうこうできない未知のものに対する畏怖と諦観の表れではないか、と思うこともしばしばあります。
ですが、私にとってそんな運命論の是非など、結局はどうでもいいことなのでした。
あなたとの出会いがあらかじめ決定されたものであっても、誰かに操作されたゆえの結果であっても、なんら不服に思うことなど一つもないのですから。
あなたが傍らに存在している奇跡のような狂おしい喜びと、この希有な邂逅
を、常に身近なものとして生きている限り実感していたいと。
それだけを、願ってやみません。
私とあなたの邂逅は、誰に感謝すべきなのか分からなくなるほど嬉しいものでした。
だからこそ、ただの出会いではすませたくなかったのです。
互いの人生がほんのわずかな期間だけ交差して、その後は一度も接点のないような、その場限りで終わってしまってもなんら不思議にも思わない、
まるで行き交う人込みの中で肩が触れあった多数のうちの一人――というような、
簡単に忘れてしまえるものにだけはしたくありませんでした。
こんなことを口にしたら、あなたは笑うかもしれません。
なんとも突拍子のないことをと、軽い調子で言うのかもしれません。
私はその答えを微笑みながら、黙って肯定することでしょう。
人と人との出会いなど、すべてははじめから決まりきったことなのかもしれない。
自分たちの思惑とは別に働く、見えない何かを運命と呼ぶのも、人にはどうこうできない未知のものに対する畏怖と諦観の表れではないか、と思うこともしばしばあります。
ですが、私にとってそんな運命論の是非など、結局はどうでもいいことなのでした。
あなたとの出会いがあらかじめ決定されたものであっても、誰かに操作されたゆえの結果であっても、なんら不服に思うことなど一つもないのですから。
あなたが傍らに存在している奇跡のような狂おしい喜びと、この希有な邂逅
を、常に身近なものとして生きている限り実感していたいと。
それだけを、願ってやみません。
H20.7.18ND最後の日の思い出
by mihayashi6
| 2008-12-19 10:30
| 邂逅
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